[2015年4月24日]
昨日の晩飯ラッスンゴレライ
と聞いて,ラッスンゴレライが何か食べ物だということがわかるはずである。
ところが,
飼ってる犬がラッスンゴレライ
と聞くと,どうやら犬が食べる物なのかと思われる。
さらに,
彼女と車でラッスンゴレライ
となれば,こいつは車で彼女と犬の食べるようなものを一緒に食ったのかと考えられる。
チョチョチョっと待ってよお兄さん!
買ってる犬がラッスンゴレライの場面で,ラッスンゴレライっていうのは,犬の種類のことではないかと推測できるではないか。
シェパードとかコリーとかチワワとか。
すると,最初の文は,晩飯に犬を食ったと読んでもおかしくない。
今日の晩飯ダックスフンド
ただ,そうなると,彼女と車でダックスフンドというのがどうも意味不明になってしまう。
やはり,ラッスンゴレライは食べ物という方向が妥当ではないだろうか。
はい,今,どーでもいいようなことをウダウダ書いているように思うでしょうが,これって現代文の問題を解く作業そのものなのです。
受験生にとっては意味不明の言葉が,前後の言葉がヒントになって,意味が決まっていきます。
このラッスンゴレライのように,明らかに誰も聞いたことないような用語の場合,上記のようにあーでもないこーでもないと,その用語に付随する言葉から考えるくせに,現代文が苦手な生徒ほど自分の頭の中から考え出そうとするのです。
ラッスンはラストレッスンのことで,
go lay lie かな?
いや,ラッスンゴ レライ と区切るのかも。
あるいは,イラレゴンスッラと逆に読むと意味があるかも。
ちがうな,どういう意味かなー
どうです?
現代文の言葉の意味を問われているのに,問題文の中から答を考えようとするのが当然ですよね。
なのに,多くの受験生は,自分の頭の中で意味を考えようとしてしまうのです。
それも,聞いたことがない場合でもそうしてしまいます。
ましてや,聞いたことがある言葉の場合は最悪です。
その言葉の意味が生徒自身の頭の中にあるものだから,それを答えてしまうのです。
おそらくこのラッスンゴレライは今年限りで聞かなくなるかもしれませんが,現代文の問題を解くときには是非毎回思い出して,自分の頭の中で答を考えないようにするとよいと思うのです。
その想起がいつもできるようになれば,ラッスンゴレライは現代文が苦手な生徒の救世主となるのです。
そもそもですが,現代文の問題はこのようにはじまります
↓
「次の文章を読んで,以下の問いに答えよ」
そう,文章を読んで,そこに書かれていることから考えて答えなさいという問題なのに,読まなくてもいい答え方をしている時点でアウトなのです。
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