[2015年5月24日]
今日5月24日は私の父親の誕生日である。
生きていたら米寿のお祝いをしているのだが,残念ながら80歳で亡くなってしまった。
まあ,一言で,「真面目」な人だったと思う。
その子の私は,なんと不真面目で・・・
(不真面目な内容はいろいろヤバすぎて書けません!)
ただ,自分はほとんど父親に叱られたことがない。
勉強しろとかも一切言われたことがないのだ。
次男ということもあったのかもしれないが。
ようするに古い時代の人なので,子育てというか,教育に関しても母親に任せていたのだと思われる。
その母親も,私には甘かったのか,かなり自由奔放に育ててくれた。
というか,言うこと聞かないので,勝手に自由奔放になったのかわからないが・・・
まあ,おそらく私の兄と比べると,相当にとんでもない子どもだったことは確かであるが,それでも父は何も言わずに,ただ真面目に仕事をして給料をかせいで家庭を維持してくれたのだ。
父との思い出は野球に関することが多い。
父親は豊中市立病院の臨床検査技師だったのだが,病院の野球チームでピッチャーをやっていたらしい。
それで,私が小学校の時に近所の少年野球チームで野球をするとなって,グローブを買ってくれたのだ。
それがミズノとかSSKとかの有名ブランドのものでなく,どこのやねん?というシロモノ。
お金がなかったのか?
と思ったが,それがとても使いやすく,よいものを選んでくれたのだと思った。
兄が全く野球をしなかったので,嬉しかったのか,よくキャッチボールをしてくれたり,変化球の投げ方を教えてくれたりした。
阪神タイガースの大ファンで,何度も甲子園に連れて行ってくれた。
父親の一番寂しそうな顔を見たのは,あの巨人がV9を決めた日。
最終戦まで優勝決定が持ち越され,甲子園での大一番だ。
結果,9−0で巨人の圧勝。
私は家の近所で遊んでいたのだが,父親がその試合の途中に家から出てきて,寂しそうに車を洗い出したのを思い出す。
先日,私の親友のこどもが府立北野高校に入学したそうな。
それで,高校に行くと,伝統ある学校なので様々な記念のものが展示してあったそうだ。
その中で,あの手塚治虫さんのクラス写真が展示してあったと言っていた。
実は,その写真に,私の父親も写っているのだ。
手塚さんとは池田の小学校からずーっと一緒で親友だったそうだ。
電車が不通になって帰れないときには,私の父の家に泊まっていたらしい。
その子がこんなに超有名な漫画家になるとは思っていなかっただろうが・・・
手塚さんの当時の日記が公開されていて,私の父の名前も出てくる。
それを読んでも,うちの父親は手塚さんに「真面目」だと思われていたことがうかがえるのである。
そういうわけで,「真面目」な父親の息子が「真面目」な子になるとは限らない話でした。
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