[2015年6月8日]
いわゆる受験業界にいると,目的が一流大学合格とか志望校合格という,「合格」しなければ意味がないという風潮を目にする。
ここで,目的と目標を区別しなければならない。
そもそも,教育の目的といった場合,人間形成とか,将来に役立つ技能を身に着けるということになったりする。
そして,大学に合格するとか,試験で何点とるとかが目標になったりするだろう。
そう,大学合格はあくまで目標であって,そこでおしまいではない。
その先の目的がまずなければ,何をしに大学に行くかわからない。
それを踏まえて,生徒が高いレベルを目標として頑張るのであればそれを全力で応援したくなるというものだ。
ところが,その先の目的らしきものが全くないのに,単に「国立大学」に行くことを志望している生徒も多い。
そういう生徒(あるいは多くの場合その親御さんも)は,国立大学合格が目的となっている。
その時点で,国立大学に入る資格を失っていると気付かないのだろうか?
漠然とでもいいから,将来多くの人の役に立つ人間になるために,レベルの高い国立大学に入れるくらいの実力をつけないと話にならない。
そして,ハイレベルの学生たちとともに自分のレベルを高めて,社会に出たらその能力を発揮して多くの人の役に立ちたいと願っていれば,それは国立大学に入る資格はあるといえよう。
さて,国立大学に合格することは,富士山の山頂に立つのとよく似ているとかねてから思っている。
誰でも登ってみたい気持ちはあるかもしれない。
でも,しんどいのは嫌?
「富士山に登りたいなー」と口に出すのはカンタンだが,実際に登るとなると,相当な覚悟がないと厳しいのだ。
実際,富士山登山の一般客はだいたい5合目まではバスで行く。
そして5合目から歩いて登っていくのだ。
ところが,国立大学と似ているのは5合目まで自力で歩いて登ることを想定している。
地道にコツコツと5合目まで来ないといけない。
楽をしてバスで登るのは禁止というルールなのだ。
そういうわけで,富士登山と同様,国立大学を目指している高校生は,3年生になってから登り始めてもおそいという話。
しっかりと事前の準備をコツコツやった者だけがたどりつける領域なのである。
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