[2015年6月19日]
古文が苦手というのでは,受験戦略上かなり苦しい。
国公立大学を受けるなら,少なくともセンター試験で50点分の配点がある。
私立文系なら産近甲龍より下のレベルなら現代文のみで受験できるパターンが増えるのだが,いわゆる難関大では古文が必要だ。
勉強の仕方がわからないという生徒も多いようだが,基本的には言語なのだから英語と同じような特徴がある。
まず,単語の意味がわからないようでは困る。
ある程度,今の日本語と共通の部分があるので,古文に特有の言葉と,現在使われている言葉とは違った意味になる単語を重点的に押さえる。
そういう意味では,英語よりもかなり少ない語数で十分だといえる。
昨日書いたように,シス単だと600語が基本的な言葉だとすれば,古文では100語程度をしっかりと押さえれば,文全体の意味がとれるレベルになる。
次に文法だ。
何と言っても古文では助動詞をしっかりと判別できるようにするのが重要。
助動詞で文の意味を把握するのが正確な読解には欠かせない。
活用は,とにかく繰り返し唱えて書いて,ひたすら定着させることだ。
これは避けて通れないだろう。
ウチの塾では,高3の受験前でも,この助動詞の基本的なドリルをさせる。
何度確認しても全然OKなのだ。
そして,言語なのだから,慣れが重要。
それこそ昔の人は,それが日常だから難なくそれを使っていたのであって,現代人と奈良時代の人の頭脳がそんなに違っているはずがない。
これは英語も同じで,もしも我々が英語を母国語にする国に生まれていたら,今頃英語がペラペラのはずだ。
そういうわけで,英語も古文も,いかに多くの時間をそれに費やして,その言語に浸る時間を長くするのが大切なのだ。
とまあ,ここまでは,普通の話。
私の高校生時代のことを少し書いておく。
自慢じゃないが,茨木高校で1番になったことのある科目が3つある。
1つはもちろん地学だが,他には地理。
地理は中学生のときにすでにいろいろと自然に頭に入っていた。
それで,あと1つは,高3のときの現代文だ。
あれっ?古文じゃないの?
そう,古文は残念ながら1位にならなかったが,悪くはなかった。
なぜなら,上に書いたように,古文に触れる時間を長くしていたからだ。
具体的には,日本史の授業で奈良時代や平安時代をやる。
日本史は1位にはならなかったが2位になったことがあるのだ。
そういうことが,古文の常識的な解釈に役立ったりする。
そして,ヒマがあったら国語の便覧などを見て,古文の常識などを身につけておく。
とにかく,おまえは古文大好き少年か!?と突っ込まれるような過ごし方をしていた。
幸いなことに,おかしな友人がいて,そいつと普段,古文で書いた手紙をやりとりしていた。
和歌を詠みあったり,冗談を古文単語を使って書いたりして楽しんでいたのだ。
(今,そいつは阪大で言語学者をしている!)
これは,学校の宿題でもあったのだが,百人一首を全部暗唱できるように覚えた。
そういうことすべてが学力につながっていくと,当時からわかっていて,それを実践していた高校生だったのだ。
もう一つ有効なのは,これも塾に置いてあるのだが(誰も見向きもしてくれない),古文の全訳が乗っている本があって,その現代語訳部分をしっかりと読んでいくのだ。
なんともぎこちない日本語が書いてあるのだが,その訳を読んで,意味をしっかりととってから,本文の古文を読むとあら不思議。
意味がスイスイっと頭に入ってくるではないか。
まあ,当たり前だが,そういうことを繰り返していると,現代語と古文の境目がなくなってきて,バイリンガルみたいに意味がとれるようになってくるのだ。
古文だけでなくどの科目もそうなのだが,手っ取り早くできるようになる勉強法っていうのはないと思われる。
一見回り道のようでも,時間をかけてコツコツとつけた力こそが,いろいろな科目に有機的につながって役に立つ。
そういう心がけで楽しくいろいろな力を身につけるように高校生活を過ごすのがよろしい。
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